『HTMLソースを著作権で保護できるかは疑問』
そう書いてあるサイトは、実はいくつもある。
検索にかかりやすいのはこのあたり。
老舗『とほほのWWW入門』/「忙しい人のための簡略「提言騒動」話」
正直いって、これを読んだとき、
「ブログテンプレートは、違う」
と思った。
もっと正確にいえば、
「違うはずだ」
……理性ではなかった。感情だった。
話は少し、遡る。
私は、小説畑の人間である。私程度の者がビブリオマニア*という言葉を口にすると、おそらく本物の方々から「けっ」と言われるだろうが、美しい本もそれなりに好きである。(*書籍マニア、書籍コレクター)
装丁なしでも小説は読める。しかし、イラストレーションを含め、表紙や紙の質、フォントの選択、文字をツメるか否か、そういうものが総合的に形づくる「書籍のカタチ」がそれを我が物にした者の満足感を高める。
サイトを作るようになったときに、「サイトデザインは、装丁だ」と思った。小説サイトを作るということは、自分が書いた小説の装丁を自分で手がけることができるようなものだ。私には美的センスが足りず、なかなかカッコイイものはできないが、それでも、楽しかった。
ブログを始めてからは、(プロ/アマ含め)自分より優れたセンスの持ち主がお作りになったテンプレートを選ぶ楽しさや、それを自分の好みに微調整する楽しさを知った。
《eXite》ブログでは、(現在はワケあって公開していないが)イチから自作したテンプレートでブログを立てていたし、《AmebaBlog》ではテンプレートコンテストで追っかけまがいのことをしていた。《FC2》に来れば、テンプレートシステムはさらに複雑で、巨大な「共有テンプレート」という場があった。
文主体と絵や写真主体で、あるいは、日記と小説やエッセーで、あるいは、小説のなかでもその分野で。最適のテンプレートが異なってくる。それは画像や色彩の部分もあるが、レイアウトやメニュー配置の要素も十分に入ってくる。
このブログは小説のためのブログなので。テンプレートの選択や、微調整の方法については、「サイトデザイン」というおこがましいタグを立てて、何度か書いてきた。

言葉につまづくのは、私の持病だ。
この言葉に、私はつまづいた。「著作権がない」と断じられることは、テンプレートというものが「作品」という言葉に値しないと言われたのだと思った。思想又は感情……「想いを盛る器」であることを否定されたと思いこんだ。ひどく悲しかった。そして自分の感情のまま、つっぱしった。
ナニかの糸が切れた状態で書いたものに対し、相手になっていただいた全ての方に、感謝している。なかでも、まったく無関係にも関わらず助言をいただいたいしなお氏にはとりわけの感謝を表したい。
>「著作権がある」というのは、通常「著作権法を根拠にした独占的な権利が保証される」を端的に表現したもの
つまり。いしなお氏にとって、著作権とは(主に)財産権なのだ。
長らくタダで小説を読ませあうコミュニティにいた私のなかで、著作権というのは著作人格権のことだった。
だがもちろん、ほとんどの訴訟は、財産権側面の意味での著作権を巡るものだ。
非常に正直に言えば、私はまだ全部に納得したわけではない。ただ、それは、私が著作権を学んだときの講師が、
「最終審の判決がでるまで「絶対」とは言うな」
と言っていた種類のことであって。これ以上、いしなお氏の時間を拝借し、説明をしていただいても、自分の心境が変化するとは思えない。
このテーマに取り組みだして、まだ1ケ月は経っていないのだが、それでも最初のころと比べると、HTMLの著作権を主張して何かをもぎ取ることは、思ったよりも苦しい戦いなのだろうということを、理解できるようになった。
だが、この文章を読んだ方のなかで、
「じゃあ、パクるか」
と思った方がもしもいらしたとしたら、申し上げたい。
人は──ほんとうに怒ったら──名誉のみのために、戦うこともある。
本当にこじれたら、テンプレートの作者が、「パクった」者を法廷に引きずり出す可能性は、まだある。賠償金は免れたとしても、弁護士を雇うための金銭的損失も、頭の隅で想像しておいたほうがいい。
だから、私は、今現在も。
改造・再配布してもいいと開放されている公式テンプレートや(一部の)共有テンプレートがあるにもかかわらず、わざわざ改造再配布禁止のテンプレートをベースに共有テンプレートを作成なさる方には、「割があいませんぜ」とご忠告さしあげようと思うのである。
(おまけ)
http://www.venus.dti.ne.jp/~inoue-m/cr_copyright_lawm.htmより
紋谷暢男他著「プログラム著作権とは何か」
ふっと思いついて、人名で検索したらこんなもんがwww この方が私の著作権の「師」。客観的には数日の研修の講師だっただけ、この方は私を弟子とは思っておられるはずのない「片想い師匠」なのですが、ひじょーにパワーのある方で、人生観におよぶ影響を受けた気ガス……。 根本、師匠からズレてないかも??>自分
あ、あと、公式テンプレの一部(例)に書かれているために、共有テンプレートにも一部に引き継がれている「All Rights Reserved」表示について、記事にする予定でいましたが、私が書くより、この4つを読んでいただいたほうが良さそうなので、稿を改めて書くのは、やめ。
©について
http://jimphelps.at.infoseek.co.jp/circlec.html
http://hinawari.blog21.fc2.com/blog-entry-35.html
http://nagablo.seesaa.net/article/16441929.html
→年号が必要なので、「Copyright © [ブログ名]. all rights reserved」ではダメ。
→しかしこれの有無によって権利が左右されるのは、2006年4月時点で、カンボジアとラオスのみ
「all rights reserved」について
http://hinawari.blog21.fc2.com/blog-entry-92.html>「ブエノスアイレス条約加盟国の著作権表示」だそうです。
>ですが日本はこの条約に加盟していないので書く意味はありません。
そう書いてあるサイトは、実はいくつもある。
検索にかかりやすいのはこのあたり。
老舗『とほほのWWW入門』/「忙しい人のための簡略「提言騒動」話」
正直いって、これを読んだとき、
「ブログテンプレートは、違う」
と思った。
もっと正確にいえば、
「違うはずだ」
……理性ではなかった。感情だった。
話は少し、遡る。
私は、小説畑の人間である。私程度の者がビブリオマニア*という言葉を口にすると、おそらく本物の方々から「けっ」と言われるだろうが、美しい本もそれなりに好きである。(*書籍マニア、書籍コレクター)
装丁なしでも小説は読める。しかし、イラストレーションを含め、表紙や紙の質、フォントの選択、文字をツメるか否か、そういうものが総合的に形づくる「書籍のカタチ」がそれを我が物にした者の満足感を高める。
サイトを作るようになったときに、「サイトデザインは、装丁だ」と思った。小説サイトを作るということは、自分が書いた小説の装丁を自分で手がけることができるようなものだ。私には美的センスが足りず、なかなかカッコイイものはできないが、それでも、楽しかった。
ブログを始めてからは、(プロ/アマ含め)自分より優れたセンスの持ち主がお作りになったテンプレートを選ぶ楽しさや、それを自分の好みに微調整する楽しさを知った。
《eXite》ブログでは、(現在はワケあって公開していないが)イチから自作したテンプレートでブログを立てていたし、《AmebaBlog》ではテンプレートコンテストで追っかけまがいのことをしていた。《FC2》に来れば、テンプレートシステムはさらに複雑で、巨大な「共有テンプレート」という場があった。
文主体と絵や写真主体で、あるいは、日記と小説やエッセーで、あるいは、小説のなかでもその分野で。最適のテンプレートが異なってくる。それは画像や色彩の部分もあるが、レイアウトやメニュー配置の要素も十分に入ってくる。
このブログは小説のためのブログなので。テンプレートの選択や、微調整の方法については、「サイトデザイン」というおこがましいタグを立てて、何度か書いてきた。

言葉につまづくのは、私の持病だ。
著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。(著作権法第二条)
この言葉に、私はつまづいた。「著作権がない」と断じられることは、テンプレートというものが「作品」という言葉に値しないと言われたのだと思った。思想又は感情……「想いを盛る器」であることを否定されたと思いこんだ。ひどく悲しかった。そして自分の感情のまま、つっぱしった。
ナニかの糸が切れた状態で書いたものに対し、相手になっていただいた全ての方に、感謝している。なかでも、まったく無関係にも関わらず助言をいただいたいしなお氏にはとりわけの感謝を表したい。
>「著作権がある」というのは、通常「著作権法を根拠にした独占的な権利が保証される」を端的に表現したもの
つまり。いしなお氏にとって、著作権とは(主に)財産権なのだ。
長らくタダで小説を読ませあうコミュニティにいた私のなかで、著作権というのは著作人格権のことだった。
だがもちろん、ほとんどの訴訟は、財産権側面の意味での著作権を巡るものだ。
非常に正直に言えば、私はまだ全部に納得したわけではない。ただ、それは、私が著作権を学んだときの講師が、
「最終審の判決がでるまで「絶対」とは言うな」
と言っていた種類のことであって。これ以上、いしなお氏の時間を拝借し、説明をしていただいても、自分の心境が変化するとは思えない。
[いしなお氏以外の方のためのメモ]
いしなお氏が上げてくだったページ:
http://www.linelabo.com/chi99714.htm
→「レイアウト・フォーマット」は著作物ではない、という意見に対して
私が「独立して」にこだわって読んだのに似た読み方をする方もないわけではない。
http://www.linelabo.com/chi99c03.htm
http://bakera.jp/hatomaru.aspx/ebi/topic/921
が、、これを挙げて議論を続けようとしたところで、「判例が出るまでわかりませんね」という結論を繰り返すにすぎない。
このテーマに取り組みだして、まだ1ケ月は経っていないのだが、それでも最初のころと比べると、HTMLの著作権を主張して何かをもぎ取ることは、思ったよりも苦しい戦いなのだろうということを、理解できるようになった。
だが、この文章を読んだ方のなかで、
「じゃあ、パクるか」
と思った方がもしもいらしたとしたら、申し上げたい。
人は──ほんとうに怒ったら──名誉のみのために、戦うこともある。
本当にこじれたら、テンプレートの作者が、「パクった」者を法廷に引きずり出す可能性は、まだある。賠償金は免れたとしても、弁護士を雇うための金銭的損失も、頭の隅で想像しておいたほうがいい。
だから、私は、今現在も。
改造・再配布してもいいと開放されている公式テンプレートや(一部の)共有テンプレートがあるにもかかわらず、わざわざ改造再配布禁止のテンプレートをベースに共有テンプレートを作成なさる方には、「割があいませんぜ」とご忠告さしあげようと思うのである。
(おまけ)
http://www.venus.dti.ne.jp/~inoue-m/cr_copyright_lawm.htmより
紋谷暢男他著「プログラム著作権とは何か」
「『創作的』といいますのは、作者独自の思想感情が表現されていること、つまり、他人のまねをしていないことというほどの意味で、他に例の無いような独創的なものであることまで求めていません。プログラムの場合、指令の組み合わせ方には作者の個性が出ており、通常同じ機能をもつプログラムであっても作成者により異なった表現になりますので、ごく単純に誰が作っても同じ表現になるようなプログラムや他人のものを写しとったようなプログラムを除き、『創作的』という要件を満たすといえます。」(32頁〜33頁)
ふっと思いついて、人名で検索したらこんなもんがwww この方が私の著作権の「師」。客観的には数日の研修の講師だっただけ、この方は私を弟子とは思っておられるはずのない「片想い師匠」なのですが、ひじょーにパワーのある方で、人生観におよぶ影響を受けた気ガス……。 根本、師匠からズレてないかも??>自分
あ、あと、公式テンプレの一部(例)に書かれているために、共有テンプレートにも一部に引き継がれている「All Rights Reserved」表示について、記事にする予定でいましたが、私が書くより、この4つを読んでいただいたほうが良さそうなので、稿を改めて書くのは、やめ。
©について
http://jimphelps.at.infoseek.co.jp/circlec.html
http://hinawari.blog21.fc2.com/blog-entry-35.html
http://nagablo.seesaa.net/article/16441929.html
→年号が必要なので、「Copyright © [ブログ名]. all rights reserved」ではダメ。
→しかしこれの有無によって権利が左右されるのは、2006年4月時点で、カンボジアとラオスのみ
「all rights reserved」について
http://hinawari.blog21.fc2.com/blog-entry-92.html>「ブエノスアイレス条約加盟国の著作権表示」だそうです。
>ですが日本はこの条約に加盟していないので書く意味はありません。